2007年4月12日

センチメンタル・ジャーニー

うさうさは04年5月、ペコ&ポコちゃんと再びモスクワの地を踏みました。帰国後も仕事で何度もロシアを行き来していたポコちゃんとは違い、うさうさとペコちゃんにとっては20ン年ぶりの訪問☆

その旅行はうさうさ一家にとってはまさに「センチメンタル・ジャーニー」!(笑)

モスクワでまず向かったのは滞在中に過ごした場所。
初めの頃滞在していたレニングラードホテル。

当時のソ連は東欧に数々の衛星国を持つ言わずと知れた「社会主義国家」の親分だったので、当然外国人の出入国はかなり厳しく統制され制限されていました。
そ の頃の大変さは子供だったうさうさにはよく分かりません。長期ビザがなく、長い間不安定な単身赴任生活を強いられたポコちゃん。パスポートをいつも肌身離 さず身に付け、日ソ情勢が変化する度、小さなスーツケース1つで直ちに隣国へ出国しなければならなかった彼らのような1960年代駐在員の苦労は想像以上 だったと思います。

また当時のモスクワ在留邦人数が700人(大使館関係、企業、留学生など併せて)と言われていたそうですが、その後赴任するロンドンでは5万人以上(ちゃんと大使館に届け出している人だけの数)だったことを鑑みても、その差たるや凄いものですね。

うさうさは日本で産まれましたが、運良くすぐにペコちゃんと一緒にモスクワへ行くことが出来ました。でも当時完全監視下に置かれていた外国人が住める場所はごくごく限られていて、しばらくは市内にあるこのレニングラードホテル(写真下)に滞在していました。

このホテルには3歳くらいまでしかいませんでしたが、不思議と部屋の鍵番のヂェジュールナヤ(鍵番のおばさんのコト)や、お掃除のバーブシカ(おばあさん)がとても親切でよく遊んでくれたことは鮮明に覚えてます。
大人たちには怖くて無愛想なコミュニストのロシア人だったかもしれませんが、うさうさにはとても優しいロシア人たちでした。

ここでのエピソードは、その後うさうさ家族と入れ替わりに駐在となった家族のお嬢さんにうさうさのお古のコートをあげたら、それを着て来た彼女をホテルのバーブシカが見て、「うさうさが帰って来たわ〜!」とみんなに言ったこと。子供好きのロシア人らしい逸話です。

当然ですが、20ン年ぶりに訪れたホテルは、ソ連→ロシアへと国自体が大きく変貌を遂げたのと同じように、今ではフツーのホテルとなっていますが、古き良き(?)社会主義と科学技術華やかしき頃の「スターリンゴシック建築」は今もなお健在でした。

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