2007年4月12日

原風景を探して・・

その頃モスクワには日本人学校は小学校からしかなく、当然アメリカと敵対していた社会主義の国ゆえ、アメリカン・スクールなんてのも論外で、当時の子供達はみな小学校に上がるまでは現地の保育園(というのか?)と幼稚園に通いました。

家からすぐ近くにあった地域の幼稚園。
今回現地でお世話になったガイドさんが「今や幼稚園も昔の社会主義のようにしっかり援助されることはないので、統廃合が厳しく、もしかしてあなたが行かれていた幼稚園ももう無くなっているかもしれませんね・・」と言われていたので、それだけがとても不安だったうさうさ。。

家の目の前にある通りを渡り、小さな石段を降りて行きます。
初夏になるとこの石段の横には野イチゴができ、それを摘んで食べながら行くのが楽しみだったうさうさ♪

ここからはペコ&ポコちゃんを先導して、うさうさが自分の中に刻まれた記憶だけを頼りに、でもほとんど本能のママに、幼稚園目指して歩いて行きます。

うさうさの幼稚園なんて会社勤めしていたポコちゃんはよく知らないので、「へぇ〜、こんな路あったの?」と興味津々(笑)





ところどころ曖昧な記憶と、すっかり生茂って鬱蒼とした林が自分のその微かな記憶を妨害する中で、断片的に残っている記憶の破片と時々見付ける見覚えのある面影を繋ぎ合わせる作業をしながら、歩くこと約10分。







突然ちょっとした斜面のある空間に出ました!

ここはいつもうさうさが冬の雪で覆われた斜面をソリで遊んでいた場所。来る日も来る日もここでソリ遊びばかり。。(他にやることないもんね〜、笑)。

そしてこのツルツルに凍った階段の上で、友達のミーシャのお母さんの前でペコちゃんがスッ転んだことなど、どーでもいいことを思い出しましたよ〜(笑)

階段の手すりなど本当にそのまんま。歪に曲がった階段の段差。きっと何十年と補修もされず放置状態なんでしょうね。。

そしてやっと辿り着いた幼稚園☆
これまたまったく当時のママありました!ちゃんとプレートにも幼稚園(ヂェーツキ・サッド)の文字が!

やっぱりかなり感激しましたね〜。しかも「本当に当時のママ」なもんだから、ほとんど遺跡状態(涙)。
ボロボロになった鉄柵。完全に老朽化した園舎。ほとんど廃墟のような佇まい。無人を物語るような静寂・・。


絶対閉鎖しているよね〜、と言いながら恐る恐る中に入ってみると、なんと人がいました!

こんな劣悪な環境で営業しているなんて!?やっぱりガイドさんが言っていたように、政府からの助成金も乏しい中、やって行くのは本当に大変なんでしょうね。。




中にいらした先生に事情を話し、園児たちがちょうどお昼寝中だったので、教室の中を見学させてもらいました。

ここでも感激したのが、幼稚園が残っていただけでなく、うさうさが当時いた頃の先生がまだ在職していたこと!受け持ちの先生ではありませんでしたが、その当時を知る先生と何十年もの時間を隔て再会できるとは夢にも思いませんでした!

当 時日本人が通える幼稚園は限られていたので、うさうさが覚えているだけでも常時5〜7人くらいの日本人(主に大使館、日系企業の子息)がこの幼稚園にはい たと思うのですが、今や遠くから来た東洋人が珍しいのか、お昼寝していた子供達も興味深げにこの突然の訪問客を眺めてました(笑)

まさにタイムスリップしたかのように、全く変わっていない教室。でも1つ大きく変わっていたことは、うさうさ達が毎日眺めていた「レーニンの肖像画」が壁からなくなっていたこと。時代の流れを感じます。。

大人の世界から見たら、子供の家と学校という物理的距離はほんと〜に狭く小さく限られた世界ですが、それでも子供にとってはこの世界が全てです。この日見たのはまさに「うさうさの原風景」の核となる部分。しかもそのまんまのカタチで。。

たぶんもう2度と訪れることはないと思うからこそ、人生の中で何よりもイチバン感慨深い1日でした。

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