2007年4月12日

記憶の中の我が家

それから間もなく、当時まだ出来て間もない市内の外国人専用アパートに引越しが決まり、ホテル生活が終わりました。

この外国人専用アパートはソ連の外務省管轄の機関(ウポデカ)が斡旋するもので、ここに帰国まで滞在。ま、当然KGBの監視下でアパート住民の行動チェックや盗聴もされていたんでしょうね。

ここは全部で3棟あり、居住者は全て外国人。日本人以外の外国人もいたそうです。うさうさには誰がガイジンなのかよく分からなかったと思います。

こ れも後で知ったことなんですが、滅多に会うことはなかったそうなんですが、お隣に北朝鮮大使館の高官が住んでいたようで、初冬になるとどこから調達してき たのか白菜をお裾分けしてくれたこともあったとか!?ロシア人は白菜を食べないんだそうで。その頃はキムチの存在を知らなかったペコちゃん。あれはきっと キムチ用の白菜だったのね〜、と(笑)

その後よもや自分の娘がキムチを作って持ってくることになるとは予想だにしてなかったよね〜(笑)

当時周りには本当にな〜んにもなくて、ただただ草原が広がっているだけの空間にポツンとアパートとその前を走る道路だけがあったのに、今やアパートが立ち並ぶ住宅街になっていてビックリ!!

でも我ながら驚いたことに、近くまで来たら数々立ち並ぶアパート群の中でもすぐ「あのアパートだ!」と分かったこと。どんなに周りが変化し変わり果てても、自分の中のおぼろげな記憶の中にはしっかりと「家」の記憶だけはあるもんですね〜。

自由主義になっても相変わらずセキュリティーがうるさいアパート管理ですが、管理事務所に事情を説明して中の写真を撮らないという条件でアパートの敷地内だけ見学(?)させてもらいました♪おじさん、スパシーバ(ありがとう)!

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